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箱根駅伝の歴史と「駅伝」という名前の由来についてご紹介します

今年も1月2日・3日は箱根駅伝を見ました。往路・復路ともに駒澤大学が制し、総合優勝した瞬間は、大学学生駅伝(出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝)三冠を達成した瞬間でもあり、とても感動しました。

 

2023年は99回大会、2024年は100回大会ということで、ずいぶんと歴史のある大会ですね。

 

今回は箱根駅伝の歴史、「駅伝」という名前の由来や文化などについて、ご紹介していきます。

箱根駅伝が誕生した経緯

箱根駅伝が誕生したのは、1917(大正6)年にさかのぼります。東京遷都50周年の記念として、京都から東海道五十三次を通り、東京・上野まで約516㎞を走るリレー競争が行われました。

 

このレースは関西組と関東組とに分かれて、3日間かかって走り切るもの。レースは夜中も走ったので、近所の住民が松明を灯したといわれています。

 

このとき、関東組には紫色のたすきを、関西組には赤色のたすきをかけて走ったことから、「たすきをつなぐ」という発想が生まれました。

 

このレースは大成功。これが箱根駅伝の構想のきっかけとなったのです。

 

その後、ある運動会で審判を担当した3人の男性の何気ない会話から、長距離ランナーを育てるには、駅伝競走が最もいいということで一致団結することに。

 

その三人とは

  • 金栗四三(1912年ストックホルムオリンピックのマラソン代表)
  • 野口源三郎(1924年パリオリンピック十種競技代表)
  • 沢田英一(札幌~東京間約830㎞を22日間で走った者)

 

金栗四三氏といえば、大河ドラマ「いだてん」の主人公。「マラソンの父」とも呼ばれている人です。「世界に通用するランナーを育てたい」という強い思いを持っていました。

 

1920(大正9)年2月に第1回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)が開催されたのです。

「駅伝」という名称の由来

さて、この「駅伝」という名称ですが、東海道五十三次の「伝馬制」からヒントを得ています。

 

昔、人や物を馬で運ぶ時代がありましたが、30里(約16㎞)ごとに中継所があり、その中継所を「駅」と呼んでいました。そして、その駅には人や馬が配置されており、手紙や物を馬に乗って運び伝えていたのです。

 

これが「駅伝」の由来。馬が「ランナー」になり、物や手紙が「たすき」になり、今の「駅伝」につながっています。

箱根駅伝のMVP

ところで、箱根駅伝にMVP賞(最優秀選手賞)があるのをご存知でしょうか?

金栗四三氏の名前からとって「金栗四三杯(かなぐりしぞうはい)」と呼ばれています。

 

2023年は東京国際大学のイエゴン・ヴィンセント選手がとりました!今回は4区を走りましたが、これまで2区・3区・4区の区間記録を持つ最強留学生選手。もう箱根駅伝でヴィンセント選手を見られなくなると思うとさみしいですね...

EKIDENは日本だけの文化

実は、駅伝は日本にしかない文化。外国にはマラソンやハーフマラソンはあっても、タスキをつないでいく「駅伝」はないそうです。なので、外国語ではそのまま「EKIDEN」といえば、「駅伝」を意味します。

 

駅伝に注力してしまうことが、マラソン選手が育ちにくい一つの要因になるともいわれています。

まとめ

今回は箱根駅伝の歴史、「駅伝」という名前の由来や文化などについて、ご紹介してきました。

・箱根駅伝のルーツは大正時代にさかのぼる

・駅伝の名前の由来は「伝馬制」からヒントを得た

・箱根駅伝のMVP賞を「金栗四三杯」とよび、2023年はイエゴン・ヴィンセント選手が獲得した

・EKIDENは日本だけの文化である

 

 

今日もお読みくださり、ありがとうございました。