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阪神タイガーズが日本一になったのはいつ?優勝回数と代表選手を解説

2023年9月14日に、阪神タイガーズが18年ぶりにリーグ優勝を果たしました。この快挙は、多くの阪神ファンは興奮しています!

 

次は日本シリーズ!しかも、今年はオリックスとの関西ダービー!

 

これぞ歴史的な戦いになるのではないかとワクワクしています。

 

ところで、阪神タイガーズはこれまでにリーグ優勝と日本一に何度輝いたことがあるのか、気になっている方も多いのではないでしょうか?

 

今回は阪神タイガーズが日本一に輝いた回数とその背景についてお伝えしていきます!

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それでは行ってみましょう!

阪神タイガーズのリーグ優勝回数

阪神タイガーズは、1962(昭和38)年、1964(昭和39)年、1985(昭和60)年、2003(平成15)年、2005(平成17)年、そして2023(令和5)年と、これまでに6回リーグ優勝を果たしています。

 

そのうち、日本シリーズで勝って日本一になったのは、1985年の1度だけ

 

各年代での日本シリーズの優勝・準優勝チームと当時の監督などを簡単に振り返ってみましょう。

 

優勝チーム(監督) 成績 準優勝チーム(監督)
2005 ロッテ(B・バレンタイン) 4勝0敗 阪神(岡田彰布)
2003 ダイエー(王貞治) 4勝3敗 阪神(星野仙一)
1985 阪神(吉田義男) 4勝2敗 西武(広岡達朗)
1964 南海(鶴岡一人) 4勝3敗 阪神(藤本貞義)
1962 東映(水原茂) 4勝2敗1分 阪神(藤本定義)

 

現在の阪神タイガーズは第2次岡田彰布監督時代ですが、前回2005年のリベンジを果たせるといいですね。

唯一の日本一は1985年

阪神タイガーズが日本一に輝いたのは、1985年の一度だけです。

 

この年の監督は吉田義男監督。1985(昭和60)年11月2日に阪神タイガーズは日本シリーズで西武ライオンズを破り、見事初優勝しました。

 

ちょうどこのとき、岡田彰布監督は阪神で選手として活躍していたんですよね。27歳の時です。

1985年の流行語に阪神関連の言葉がランクイン

1985年当時、世の中が阪神の日本一で盛り上がってたことがよくわかる現象があります!

 

それが1985年の新語・流行語大賞。なんと流行語部門の銀賞に、阪神タイガーズのファンを表す「トラキチ」が選ばれているんです!

 

それくらい、阪神の日本一は特別なものだったことが分かりますね。

1985年の阪神の代表選手は?

当時の阪神といえば、伝説のクリーンナップ

それが、ランディ・バース(Randy Bass)、掛布雅之、岡田彰布の3人

 

1985年は彼らが打ちまくって大活躍していた年なので、凄かったですね。

バックスクリーン3連発

なかでも、伝説となっているのが、1985年4月17日の巨人戦の7回裏に放った「バックスクリーン3連発」です。

 

セ・リーグの試合で巨人の槇原寛己投手から、バース、掛布、岡田が3者連続ホームランを打ったんですよね!

 

この年の3人の打率は、3人とも3割超え。今や「伝説のクリーンナップ」です。

バースが31歳、掛布が30歳、岡田が27歳のときでした。

3人のホームラン数の合計がすごかった

1985年の3人が打ったホームランの数がすごかった。その数129本。

  • バース 54本
  • 掛布 40本
  • 岡田 35本

今年の日本シリーズはどうか?

2023年の日本シリーズは、1985年から38年ぶりの日本一になるのか、とても楽しみです。どのような戦略や布陣が考えられるのでしょうか。

 

相手は3年連続パ・リーグを制しているオリックス!

 

オリックスの山本由伸投手はじめ、すごいピッチャーたちを阪神打線がどのように攻略していくのか、日本シリーズが今から待ち遠しいです♪

まとめ

今回は阪神タイガーズが日本一に輝いた回数とその背景についてお伝えしてきました。

日本一になったのは1985年の一度だけ。だからこそ、2023年もそれに続くといいなと思います。

 

今日もお読みくださり、ありがとうございました!