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阪神タイガーズの三冠王ランディ・バースは現在、何をしている?

1985年は阪神タイガーズが初めて日本シリーズで優勝し、日本一に輝いた年です。

この時期に、ひときわ目覚ましい活躍を見せたのが、3番ランディ・バース

 

いまでも、「史上最強の助っ人」とよばれています。「助っ人」どころではないですが...

 

今年は阪神が38年ぶりの日本一をかけているので、ドキドキですね。

 

バースは1998年に現役を引退してからは、アメリカに戻り、農場経営などをして過ごしています。

 

今回は、バースのプロフィールや現役時代の活躍などを振り返りつつ、現在に辿りつくまでの歴史を探ってみます。

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ランディ・バースのプロフィール

ランディ・バース氏のプロフィールをご紹介します!

 

国籍 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州ロートン
生年月日 1954年3月13日
身長/体重 184㎝/95㎏
ポジション 一塁手・右翼手
投打 右投左打
プロ入り 1972年ドラフト7巡目
所属チーム

ミネソタ・ツインズ (1977)

カンザスシティ・ロイヤルズ (1978)

モントリオール・エクスポズ (1979)

サンディエゴ・パドレス (1980‐1982)

テキサス・レンジャーズ (1982)

阪神タイガース (1983-1988)

 

MLB時代の実績

意外なことに、バースはMLB時代はホームランを9本しか打っていませんでした。ちょっと信じられませんよね。

 

パワーは申し分なかったのですが、子どものころ複雑骨折をしたせいで、全力で走れないことが影響して、メジャーでは通用しなかったようです。速球に対応できなかったのですね。

 

そんなときに、まだ当時無名だったバースを阪神が拾ってくれたのです。

阪神に入団して、1985年・1986年に三冠王に2度輝く!

1983年に阪神に入団して1年目から35本のホームランを打ちました。その後もどんどん活躍するようになり、1985年には阪神が日本一に!

 

1985年にはホームラン54本(王貞治さんの記録まであと1本)も打ち、三冠王とシーズンMVPに輝きました。

 

■三冠王■
・1985年 本塁打54本 打点134 打率.350
・1986年 本塁打47本 打点107 打率.389

1986年の打率はいまだに破られていません。考えてみると、イチロー千選手でさえこの数値には届いていないので、本当にすごいですね。

引退後の活動

1988年にバースの息子が水頭症を患っていることが判明。息子に手術を受けさせるために、アメリカに帰国しました。

 

その後、諸事情で来日する時期を延期してもらおうとバースは阪神に交渉しましたが、もめて、結局解雇されてしまったのです。まだ34歳でした。

 

ランディ・バースが阪神を引退してからの活動をご紹介します。

巨人のスカウトをする

バースはアメリカと日本の野球に詳しいことから、1998~2003年までは、巨人のスカウトをしていました。

阪神に来る前は、5年間もメジャーにいたので、アメリカにどんな選手がいるのか、どこへ行けばスカウトできそうな選手がいるのかを知っていたのでしょうね。

政治家になる

「市会議員にならないか」というススメで、政治の世界へ。2004年から2019年までの14年間オクラホマ州議会上院議員(民主党候補)を務め、政治家として活動しました。

この間は、スカウトや農場経営などの仕事は一度やめて、議員活動に専念。

日本でいうと衆議院議員のような存在です。

農場経営

バースは阪神を入団した時に、広さが東京ドーム87個分ほどの牧場を購入しました。

そこで、400頭ほどの牛を飼い家族経営で20年ほど、自由に農場を経営しています

2023年野球殿堂入り

ランディ・バースは2023年に日本のプロ野球の野球殿堂入りを果たし、その名前を永遠に刻みました。

 

また、たまにメディアで取り上げられたり、始球式などに登場したりしたこともあります。バースの選手時代の活躍ぶりを見たことはなくても、テレビで紹介されてご覧になられた方もいるかもしれませんね。

 

バースの野球殿堂入りは、彼が日本でのプレーで示した卓越した実績と影響力に対する最高の賛辞であり、多くのファンや関係者から熱い祝福を受けています。

まとめ

今回は、ランディ・バースのプロフィールや阪神での活躍を振り返りつつ、現在どのような活動をしているのかについてお伝えしてきました。

 

バースはもはや伝説の人ですね。現役選手の中から、バースのような選手が出てくると、面白くなりそうですね。

 

今日もお読みくださり、ありがとうございます!