高校野球といえば、応援歌も戦力の一つ。なかでも、「魔曲」と呼ばれる曲があります。
その一つが智弁和歌山(和歌山県)や智弁学園(奈良県)の「ジョックロック(Jock Rock)」。
ピンチやチャンスの時に、この曲が流れると一気に流れが変わって、逆転劇をくりひろげられることも!
しかし、
「ジョックロックとはどんな曲なのか?」
「なぜ、魔曲と呼ばれるようになったのか?」
「実際に、どんな試合で劇的な勝利を呼び寄せたのか?」
こんな疑問を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、今回は甲子園で選手を後押しする魔曲「ジョックロック(Jock Rock)」について、お伝えしていきます。
ジョックロックの原曲
ジョックロックは、高校野球ファンにとって、特別な思い入れのある曲です。でも、その原曲は日本の高校野球とはぜんぜん関係のないところで生まれました。
この曲の作曲者は、Rob Rowberry
実は、ジョックロックの原曲は、ヤマハが開発したXGフォーマットを普及させるために制作されたデモ曲の一つです。
XGフォーマットは、MIDI音源の高度な音色を制御できる技術で、ジョックロックはその音楽ソフトのサンプル音源として作られました。
なぜ高校野球で使われるようになったのか?
1998年頃、当時の智弁和歌山高等学校の教頭で、吹奏楽部の初代顧問をつとめていた吉本英治氏が「ジョックロック」を応援曲に取り入れたのです。
甲子園で初めて演奏されたのは2000年の夏。
吹奏楽部の演奏によって、この独特のリズムとメロディが、打線に火をつけるのかもしれません。アルプススタンドの熱気と見事にマッチして、ここぞというときに一気に盛り上がりをみせます。
ここまでくると、応援歌もひとつの戦力ですね。
記憶に残るエピソード
実際に、魔曲「ジョックロック」にまつわるエピソードをご紹介します。
2000年夏の大会「魔曲になったきっかけ」
智弁和歌山は2000年の夏の甲子園で優勝しました。
この年から、「ジョックロック」の演奏をスタート。
魔曲が威力を発揮したのは、準々決勝の福岡県の柳川高校との試合。
2-6の4点差で負けていたところ、なんと8回に追いつき、延長11回の末サヨナラ勝ちをおさめたのです。
両チームの選手たちは、相手のピンチの時に、ジョックロックを流れるのを聴いて、「怖いな」と何とも言えない恐ろしさを感じたそうです。
これはジョックロックが「魔曲」とよばれるきっかけになりました。
2019年夏の大会「智弁対決」
印象に強いのが2019年夏の高校野球決勝戦。
智弁和歌山 vs 智弁学園(9-2)
両校とも「智弁」、ユニフォームも赤、魔曲も同じ「ジョックロック」。
これほどまでに同じ相手との対決はあるでしょうか。
両校とも、ピンチの時には同じ「ジョックロック」がけたたましく両方の応援席から流れてきて、凄まじい対決になりました。
勝利を収めたのは、智弁和歌山でした。
2023年夏の大会「さよならスクイズ」
2023年の大会2日目の智弁学園(奈良県)vs英明(香川県)の試合。
智弁学園は1点差で負けていて、迎えた9回。
なんと、「ジョックロック」が流れる中、同点に追いつきました!!!
1アウト満塁の場面から、フォアボールで押し出しだったのですね。
そして、延長戦に突入すると、「さよならスクイズ」で逆転!
涙のサヨナラ勝ちでした。
2024年も智弁学園に期待大ですね!!!
まとめ
今回は甲子園の魔曲「ジョックロック」について、その原曲や高校野球で演奏されるようになったわけなどを解説してきました。
・ジョックロックはもともとはヤマハのサンプル音源だった。
・2000年から智弁和歌山の吹奏楽部が演奏し始めた。
・劇的な逆転劇を飾ることから「魔曲」と呼ばれている。
高校球児たちを応援しましょう!
今日もお読みくださり、ありがとうございます!