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2022夏の高校野球・愛工大名電41年ぶり甲子園ベスト8!瀬戸勝登君と戦った選手たち

8月もそろそろ終わりですね。

皆さんはどんな夏をお過ごしでしたか?

 

私は今年の夏は高校野球をよく見ました。

見られないときには、熱闘甲子園でハイライトがみられるので、本当によかったです。

(ちなみに8月末まで熱闘甲子園はHPで見られます。)

 

私は愛知勢なので、「愛工大名電(あいこうだいめいでん)」を応援していました。

「夏にはなかなか勝てない名電」と言われていたのですが、今年は汚名返上!

6月に亡くなったチームメイトを思って、「勝ち登れ 頂点へ」を合言葉に、ベスト8まで勝ち登っていった姿は本当に素晴らしかったです。

 

打席に立つたびに、選手が空を見上げるのがとても心に残っています。

天国の友と戦った甲子園。名シーンが多すぎて、本当に感動でした。

 

準々決勝で仙台育英高校に負けて、ベスト8で終わった夏の甲子園。

 

思い出深いシーンを振り返ってみました。

合言葉は「勝ち登れ 頂点へ」

2022年夏の大会前の6月1日に選手の一人が急性心不全で亡くなりました。

その選手のファーストネームは「勝登(しょうと)」君。野球好きのご家族が野球に携わってほしいという思いから、名づけられたとか。「ショート」なんて、素敵な名前ですね。

 

勝登君と一緒に戦うという思いから、チームの合言葉は「勝ち登れ 頂点へ」となりました。

 

キャプテンでエースの有馬伽久投手はマウンドに上がるとき、土に「勝登」と書くシーンをテレビで見て、深い絆を感じました。

熱闘甲子園第13日目「手紙」

テレビ朝日の「熱闘甲子園」の13日目。

「手紙」というコーナーがあり、3つの手紙が紹介されます。どれも野球に全く関心のない人が見ても、泣けてくるかもしれません。

  • 海星高校(長崎)の河内夢翔選手から弟の愛季君への手紙
  • 敦賀気比高校(福井)の上加世田頼希投手から渡辺優斗捕手への手紙
  • 愛工大名電(愛知)の有馬伽久選手から瀬戸勝登君への手紙

 

最後に紹介された有馬伽久選手が瀬戸勝登君への手紙。高校生らしい、ざっくばらんな話し口調の手紙がすごくよかった。

 

勝登君はムードメーカーだったそうですが、選手たちがピンチやチャンスの時に空を見ている姿を見て、一緒に戦っているんだなと感じました。

一人一人にストーリーがあるんだなと熱い気持ちになりますね。

愛工大名電41年ぶりの甲子園ベスト8

さて、愛工大名電は41年ぶりに甲子園ベスト8に入りました。

準々決勝までの対戦相手は以下のとおり。

  • 1回戦 星稜(石川県)
  • 2回戦 八戸学院光星(青森県)
  • 3回戦 明豊(大分県)
  • 準々決勝 仙台育英(宮城県)

 

中でも個人的に印象深かったのは、2回戦の八戸学院光星戦でした。

10回延長戦でのサヨナラ勝ち!

サヨナラ勝利の八戸学院光星戦

2回戦の青森の八戸学院光星戦は3人の投手で勝ち切りました。

先発は有馬伽久(がく)投手。中継ぎとリリーフに岩瀬法樹投手と山田空暉(てんき)投手。

7回から火消し役の岩瀬投手

有馬投手が7回に相手打線につかまり、5失点したところで、岩瀬投手に交代。

有馬投手の投球数84球です。

 

岩瀬投手は元中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手の長男だけあって、さすがの火消し役。

投球数8球ですが、試合の流れが変わりました。

父親は左腕で、本人は右腕ですが、とても似ていて、ドラゴンズ戦を見ているような感じがしましたね。

山田空暉選手のスローカーブ

最後の3人目の山田投手。スローカーブを投げたのです。肝っ玉というか、「場を楽しむって、こういうことだよね」と思いました。

 

こんな場面でよくここまで弧を大きく描いたボールが投げられるものだと感心します。

しかも、ストライクですから、驚きます。

バッターもの「???」と思って、固まってしまったのかもしれませんね。

山田選手の投球数は37球です。このスローカーブの球速を知りたいです(^^)

劇的なサヨナラ勝利

7回の裏から、名電の反撃が始まりました。5対1の4点差で負けていたところ、7回の裏に名電が4点を追加して、同点に追いつきます。8,9回と両チームとも得点なし。

劇的な場面は10回に訪れました。

 

10回の打席は5番有馬選手から。

ここで劇的なスリーベースヒット!

熱闘甲子園の14日目のエンディングに収められています。

決定打は勝登君と同じポジションを切磋琢磨して競い合ったという、

美濃選手。

二人とも空を見上げて、手を合わせたり、ガッツポーズをしたりする姿にうるうるきてしまいました。

準々決勝で仙台育英に敗れる

準々決勝では仙台育英に6対2で負けてしまいました。今どきの野球はデータ重視というか、対策がはまった方が勝てるのだなというのが、見ていてよく分かった。

 

仙台育英の野球は相手の隙をつく野球。

序盤で試合が決まってしまったのかもしれないが、とはいえ、名電の9回ツーアウトからの怒涛の攻撃はすごかった。

 

ドラマティックだなと思うのは、最後の打席は有馬選手だったこと。つなぎたかったけれど、つなげなかった思いは天国に通じているはずだ。

仙台育英 須江監督の言葉

愛工大名電は試合には負けたけれど、須江監督の試合後のインタビューの中に勝登君への思いが込められていました。

(愛工大名電は)技術はもちろん非常に高いが、6月に瀬戸勝登(しょうと)君が亡くなっている。「その思いを持って戦うんだ」という気持ちが一投一打、いろいろなものに表れている。だから、粘り強い。執念、懸ける思い、その子と少しでも長い夏にしたいと思っていることがとても素晴らしかった。私たちは今日幸いにも勝たせていただいた。彼らの思いも持って、一戦一戦、勝ち登りたい。

引用元:

仙台育英・須江監督「第1試合は験が良い」 夏の甲子園 | 毎日新聞

愛工大名電3年生に引退はなし

高校野球を見ているときから、抱いていた素朴な疑問。

  • 「甲子園球児は夏の大会が終わったら、どうするのだろうか?」
  • 「遠方から来ている子は、退寮したら卒業までどこに住むのだろうか?」

一般的には、夏の大会が終わったら、引退となるそうですが、愛工大名電の3年生には引退はありません。

 

卒業後に大学や実業団、プロなどそれぞれの道で野球を続ける人が多いので、卒業後も活躍できる人材を育成するのが目的。倉野光生監督の考えで3年間指導をするのが名電流なのだとか。

愛工大名電は工藤公康氏やイチロー氏の母校

愛工大名電の正式名称は愛知工業大学名電高等学校

工藤公康元福岡ソフトバンクホークス監督やイチロー選手の母校としても有名です。

 

工藤公康さんが選手の頃は「名古屋電気高等学校」という校名でしたが、1981(昭和58)年に今の「愛知工業大学名電高等学校」に改称されました。

まとめ

今日は、この夏の甲子園で思い出深かった試合「八戸学院光星戦」「仙台育英戦」を振り返りました。劇的なサヨナラ勝利と、とどかなかったベスト4。

 

空を見上げてバッターボックスに入る選手、ヒットを打って空に向かってガッツポーズをする選手…どれもこれも涙腺崩壊です。勝登君がとても素敵な子だったことが選手たちの振舞いを見ていて、伝わってきました。

 

 

 

いつか甲子園球場で野球観戦をしたいと思った夏でした。あぁ、来年の夏が今から待ち遠しい!

今日もお読みくださり、ありがとうございます。